日赤 水安講習 海 


プロジェクトX風は飽きたので(ってか、なってないので)、普通の文体、一人称でいきます。
実はそんなに変わらんけどね(笑)



プールでの講習は検定日も含めて全四日間であった。
その中にはCPRの実習もたっぷり含まれているので、それくらいの時間はどうしても必要である。

一方、海での講習は検定を入れて全二日間と短い。
ネットなどで集める情報では、海での講習は楽しいよ、というものが多かった。
そのせいもあって海講習を私は少し舐めていた。
楽しい=辛くない、と考えてしまうこの単純さ…
この齢となれば、やはりもう少し深く考えられるようにならなくてはならない。
だからいつまでたってもオセロゲームも強くならないのだ。


海講習のビーチ


プールでの講習終了から2週間経った土曜日の朝、午前9時前に会場となる某ビーチへ到着すると、赤十字マークの入ったトラックが既に待っており、そこが集合地である看板となっていた。


天気予報では雨がちの二日間となるはずだった。
ウエットスーツを着ていいのだから、浮力確保のためには私はもちろん着るつもりだった。
しかし、夏の海水浴場である。普通に天気がよく、晴れていればウエットスーツなど着てはいられない。
30分とかからずに中で茹で上がってしまう。
その点、講習生にとって雨模様の天気は「いい天気」と言えた。
海はベタ凪。夏、日本海は太平洋側より穏やかな日が多いが、この日は特別に静かである。時折吹く陸風がさざ波を作る。

もちろん今回も学科講習があるので、次第に集まってきた講習生は天幕を張って講義する場を作る。
講習生として集まったのはプールでの14名の内、11名であった。
養護学校教諭K氏、そしてプールではバディを組んだ小学校教諭N氏の姿はなかった。
学校関係は夏休みを目前に控えたこの時期はとても忙しい、と言っていたのを思い出す。
もう一人、誰が来ていないのかは分からなかった。
講習生11名の内、女子が一人。彼女も消防学校の学生さんだ。泳ぎはピカイチ。私の3倍速く泳ぐ。

メインの指導員は変わらずS講師。
他に補助の指導員としてA指導員、R指導員。R指導員は女性である。
これを読んで下さっている人の中にはお怒りになる向きもいるかも知れないが、あえて書く。
R指導員はスレンダーで、素晴らしいスタイルの持ち主。肩幅などを拝見するに、子供の頃からバリバリにスイミングスクールや部活で水泳に勤しんでいたような風でもない。
たしか年齢は私より10歳ばかり若かったはずだが、失礼ながら体力が有り余っている、という感じでもない。ってか、一言で言うと「華奢」。
それでも「指導員」なのである。

この救助員養成講習の先には次のステージとして指導員養成講習なるものがある。
日赤の水上安全法を巷に普及していくための資格だ。
もし、救助員の検定に合格しても、私はその先に挑戦するつもりなどさらさらない。
なにしろ指導員と言うからには救助員講習の倍以上のスペックが要求される。
救助員でさえ受かるかどうか、などというラインぎりぎりにいるのに、指導員など志した日には命がいくつあっても足りない。
このような講習の手伝いも頼まれたりする。もちろんボランティアだ。A指導員などこの街から170kmも離れたところからわざわざ来てくれている。
まったく頭が下がる思いだ。
R指導員にしたってプール講習の時から手伝ってくれている。S講師は日赤の職員だから業務の一環とは言え、休日を潰して従事している。(いや、もしかしたら、代休日があるかも知れんけども)
私などは趣味でわざわざ危険と言われる遊びをしてるわけで、親しい仲間に万一の事があったら…という観点だけで救助員の講習を受けている。
ところが、彼らはそうではない。不特定の誰かを助けるために救助員を目指し、さらにその救助員を増やすために貴重な時間を費やし、厳しい訓練を経て指導員の資格を取っている。
これが消防関係、警察関係であればその動機も想像できるが、彼らは一般人だ。
重ねて言うが、まったく頭が下がる。ありがたいことだ。



第1日目


時刻は午前9時を過ぎ、天幕の下で開講式を行なう。
時折小雨がぱらつく。少し風が強くなり、天幕の下に敷いたブルーシートも端の方から濡れ始めた。
もうお互いの顔を知っているので、特にあらたまった感じはしない。
すぐに学科に入り、プールと海や川などオープンウォーターの環境の違いから講義が始まった。
テキストにはたくさんの内容が含まれているが、とてもそれを全て履修する時間はない。
その中からS講師が読む場所は要チェックである。学科検定に出題される確率がとても高い。
学科の講義は1時間で終了。
短い休憩のあと、水着に着替えて再び天幕前に集合する。
まだウエットスーツの着用は禁じられた。
入念な準備運動、ストレッチは相変わらず。
数日前から喉が痛く、少し風邪気味である事を自覚していた。
ただ、それ以外は万全に近いコンディションであった。筋や腱の強い張りもない。

まずはゆっくりと500mばかり海で泳ぐ。ウォーミング・アップだ。
ヘッドアップでの平泳ぎが主体。スーツはなくとも海ではよく体が浮く。
顔を上げたままの平泳ぎでは腰が痛くなるほどである。

岸へ上がると、S講師が砂浜へ線を引いた。A指導員に指示して30mばかり離れた所にも平行線を引く。
スタートとゴールラインだった。
よーい、どん。ダッシュである。
その昔、脚の速さにかけてはかなりの自信があった。11秒台を出した事もある(過去の栄光とは言え、結構自慢だったりする)。
しかし、もちろんそんなものは泡沫の夢。現役の消防学校の学生達に勝てるわけがない。わずかに何往復かしただけで息が上がった。
レース回数が重なるたびに列から遅れがちになる私に「がんばれ、Dさん!」とS講師が声を掛けてくれる。
実際はそれほど遅れたわけではなく、競馬で言えば一馬身程度なのだが、表情が苦しそうに見えたのだろうか…

砂浜を4往復ばかりした後、S講師が一人遠浅の海へ入って行く。波打ち際からおよそ30mばかり行った所で振り返る。
「はい、それでは今度は、海に向かってここまでダッシュです。一斉によーい、ドンです。1位だった者から抜けてよし」
足元に水がある場合の走りにくさは想像の通り。
いくら私の脚が遅くなっていようと、多少でも技術系の要素が入れば11名の内のどんケツになるわけにはいかない。
多少は長く生きてきた証しを見せねばならない。
「それでは、準備して…よーい、ドン!」
横に並んで、一斉に11名は走り出した。
波打ち際から数メートル入ったところに勾配が変化するポイントがあるのは頭に入っていた。
案の定そこで何名かが転倒する。
そして次は水の抵抗でバランスを失い、何人かがまた転ぶ。
残り数名。
しかし、水が重くて皆の足は進まなくなる。
その中をただ一人、何事もないようにどばどば!と進む男がいた。
レスキューH氏。さすがの超馬力である。


「はい、Hさん1着。抜けていいよ。残りの人は2ラウンド目行きまーす!」
私は上がる息の中で、ゆっくりと首を横に振った。
この第1レースで勝負をつけねば、もう勝てる見込みはなかった。

皆、回数を重ねるごとに要領を掴んできていた。転ぶものはもういない。2ラウンド目、3ラウンド目、4ラウンド目とも順位半ば。一番手ずつ順位が下がる。
既に疲労困憊。大腿が上がらない。
S講師が言った。
「Hさん、足元に水がある場合の走り方をみんなに教えてやって」
腕を組んでニコリともせず、H氏が脚の上げ方をデモする。彼も馬力だけで走ったのではなかった。
ハードルを跳ぶ時の様に足を横に上げた後に前へ降ろすのであった。
ハードルが連続していると思えばいい。
もう一度レースを行い、その要領をしっかりと体に憶えさせて海ダッシュは終了した。
後ろから2番目…ブービー賞だった。

「はい、次は、走れなくなった所からどうするかです。A指導員、デモをお願いします」
A指導員は股の高さまで水位がある場所から、「ドルフィン・スルー」という技術でさらに沖へ移動した。
脚を横に上げても、水面より高くならないと当然走れない。しかし、泳ぎだすのはまだ早いのだ。
泳ぐよりも早く移動できる術があるならそれを使わなくてはならない。
要領は、頭から水に飛び込んで海底に手を着き、そこまで足を引き寄せる。そしてジャンプし海面上を飛び、海に頭から突っ込んで…を繰り返す。
本当はちっとも「ドルフィン」ではなく、むしろカエルかウサギなのだが、海面上の姿だけを見ていると、たしかに「ドルフィン」っぽいと言えばそう見えなくもない。



そしてようやくドルフィンスルーもできなくなった所からヘッドアップクロールで泳ぎ出すのである。

続いて3点セットの使い方の講習となった。
ほとんどの者がアルペンあたりで真新しいセットを購入して来ていた。
「スノーケルはマスクの左側にセットするのが普通です。マスクは髪の毛を挟まないように…そう、バディと確認しあって…準備できたら、沖へ行きます。付いてきて」
11名はS講師の後ろに群れて泳ぐ。
この際フィンの使い方については細かな指導はなかった。振っていれば素足より余程進むのだからそれでいい。
新品のマスクを被っている者は、案の定すぐにレンズが曇り出していた。
これはメーカーが悪い。外装の一番目立つ所にまずはレンズの洗い方をでかでかと注意書きしておくべきだ。

私が持参したフィンはストラップ式の小さな合成ラバーのフィン。ちょっとダイブを試みたが、ウエイトもしていないので、ジャックナイフをしても脚が沈まない(笑)

S講師が言った。
「それでは、まずスノーケルクリアから。たまに勘違いしてる者がいるが、スノーケルは水中で呼吸するための装置じゃないぞ。分かってるな?」
親切な指導である。
消防官になろうなどと考える者たちには、要領の悪い者はまずいない。スノーケルクリアもマスククリアもすぐに動作を憶える。
「大事なのは、スノーケルクリアした後も、まだ筒の中に海水が残っている場合があるので、それには十分注意をするように」
その言葉で3点セットの使い方コースはあっという間に終わった。

時刻はまだ11時半だったが、昼食タイムとなった。
朝はたっぷりと食べてきたのに、既に空腹の限界を迎えていた。
講習内容がおもしろいのでつい忘れがちだったが、もうエネルギー切れを起こしていた。
3時ごろに腹が減ったら食べようと思っていたおにぎりもすべて平らげてしまった。


午後はレスキュー・ボードの使い方から始まった。
ウエットスーツの着用許可が出たので、ラッシュの上に着た。
気温が低いので体が冷えていた。スーツってのは実に温かいものだと、あらためて実感する。
この講習にはカブリは持ってこなかった。激しい動きや摩擦で破れたりしたら大損だ。
当然のごとく表ジャージの古いワンピを選択した。

普通のサーフボードを乗用車に例えるなら、レスキュー・ボードはトラックである。人が数名乗ってもまだ浮力があるほど分厚く、でかい。
ビーチからこれを抱えて(正確には、引きずって)エントリー。正座のようなフォームで飛び乗る。これをニーリングと言う。
バランスを取りつつ、上半身をフルに使い両手でパドリングする。
膝、すね、足の甲をボードにつけて正座する形なので、重心は決して低いとは言えない。最初はバランスを取るのが難しい。
それでもある程度慣れると、想像以上に速いスピードでボードは進んだ。
まさに波の上を滑るように走る。

はっきり言って、我らが潜水母船よりずっと速い。


この日がベタ凪だったのも、この練習にはちょうどよかった。
少し難しいのは方向転換。
ボードの後方に座り、トップ部分を持ち上げて立ち泳ぎの巻き足の要領で膝下を回すと、その場で向きを変えられる。
トップが立たないとボードは回らない。しかし、立ち過ぎるとひっくり返る。



ニーリングの他に、ボードへ伏せて、普通のサーフボードのように左右交互にパドリングするフォームもある。
これは波の高い時など、バランスを取りにくい時に使用する。
スピードはニーリングの方が圧倒的に速い。
とてもおもしろい乗り物であった。

その他、ボードは使わず、レスキューチューブを溺者の体に巻き、キャリングするなど、プールで憶えた技術の応用などもあった。
もちろん何も道具がない場合には素手で行かなくてはならない。これもプールでの技術の応用が要る。

沖から溺者を牽引して来た後、足が海底に着く所まで戻ったら、溺者を肩に担いで浜辺まで運ぶ。
これをファイヤマンズ・キャリーと言う。
溺者を水面上に抱えているため、その体重はずっしりとかかるが、自分の体はまだほとんど水中なので、まだ自重はかからない。
しかし、岸が近付いてくるたびに、自重が増していく。
波打ち際から溺者を優しく降ろすまでのわずか数メートルが恐ろしく遠い。しかも波打ち際近辺は勾配がきついのだ。
一気にスタミナを奪われる。
パートナーがレスキューH氏のような巨漢だったら大変な事になる。
すでにH氏とはかなり親しく話をする間柄になっていたが、こういう場合はパートナーとならないようにそそくさと彼から離れる事が肝要であった。

雨がしとしとと降り続く。
5mmのフル・ワンピを着ているDには快適な気温だったが、サーフ用のスプリングを着ている者たちには寒かったようだ。
ましてや、水着だけで臨んでいる者はもう歯の根が合わず、顔面が蒼白になっている者もいた。
その者たちを見渡して、S講師が言った。
「えー、皆さん優秀で、予定をずいぶん上回ってメニューを消化しております。5時には少し早いですが、今日はここまでにしましょう」
はぁ……とため息が漏れる音が聞こえる。
天幕の支柱だけ折り畳んで、初日の講習を終えた。




第2日目


翌日の朝。
目覚めた私は体の各所の筋や腱が悲鳴を上げ始めている事に気付いた。特に大腿部。
砂浜ダッシュとファイヤマンズ・キャリーが効いているのは間違いない。

クルマで30分。途中まではホームポイントへ向かう道と同じだ。講習の会場と我らがホームは直線距離にして6kmばかり離れている。
会場に着くと、昨日とは一転して大きな波が浜辺へ打ち寄せていた。
沖の波高は1.5m以上はあるだろう。白波も立っている。100mばかり沖合いに防波堤として並べられたテトラポッドの間をすり抜けてくる波も、まだ相当のパワーがある。
雨は降っていなかった。その代わりに風が強い。天幕が飛ばされそうなほどだ。
「やあ、いいコンディションになりました。昨日みたいなベタ凪じゃ簡単すぎてつまらんですからね」
S講師がにやりと鬼の笑顔をちらつかせた。

この日はすぐに着替え、昨日の実技講習のおさらいと、いくつかの技術を組み合わせた応用講習に入った。
やはり波が高いと顔にばんばん水がかかるので素手でのキャリーは一層大変だし、ボードはボードでその操作も難しい。ボードの転覆が相次いだ。
そんな中で行なわれた意識のない溺者をボードに乗せ、岸へ帰るという想定のトレーニングはかなり難易度が高かった。
不安定なボードに掴まって意識の有無の確認、呼吸の確認、口中検査、水上で一度だけ人工呼吸(の真似)、ボードへ乗せる、自分も乗る、岸へ戻る。


しかし楽しい。
やはり海は楽しい。(いや、そうじゃなく…)




昼食後は素手での牽引、レスキューチューブを使った牽引、足が海底に着いた所から一人で担ぐ、助けを呼んで二人で担ぐ、さらに3人で担ぐ…など、バリエーションがどんどん増える。
せっかく昼食で少しは回復したスタミナを根こそぎ奪い、そして検定となった。


まずは「イン」。

片膝をつけて、号令を待つ。
「救助!」
というS講師の掛け声を聞いて講習生も海を指差し叫ぶ。
「救助!」
ダッシュし海へ駆け込む。ドルフィンスルー、ヘッドアップクロール。
効果的にどれだけ素早く目標地点へ到達するかがポイントだ。

続いてフィンを持って「イン」し、途中で履く。ヘッドアップクロールで溺者へ近付き、チューブによる確保とキャリー。

そしてボードの操作。
浜辺からの手信号を確認し、沖へ向かい、左右に方向転換し、戻る。
私は最初の乗り込みの時に勢い余って落ちた。その後は上手くやれたと思う。

等々、実技検定は淡々と進み、服に着替えて学科検定となった。
プールと自然環境の違いをきちんと理解しておけば、そう難しい設問ではない。

閉講式が続いて行なわれ、先のプールの検定は全員が合格していた事を告げられた。
「あ、忘れてたけど…」という言葉から始まったが、開講式の時に言わなかったのは何か意図があったのだろう。
もっとも、プールでの閉講式のとき、海での出来も勘案して…と言っていたので、まさにそこまでがプールの検定だったのかも知れない。
「海での検定結果はまた後日お知らせします。それじゃ、皆さん、ご苦労さんでした」
すべてが終わっても、S講師の笑顔には鬼の凄みが潜んでいた。
そうでなくては救助・救命の指導員など務まらないのかも知れない。

確かに海の講習はプールに比べるとずいぶん楽しかった。
しかし、決して簡単だったとは言わない。
短いが、その内容もプールでの講習に劣らず、たっぷりと内容の濃いものであった。
体力も気力もほぼSold Outだ。我が家までクルマを運転して戻る気力程度しか残っていない。
ウエットスーツを着用できていなければ、やはり恐ろしく辛いものだっただろう。

だが、逆に言うとスーツを着てさえいれば、救助する側もされる側も相当に安全度は増すということを再認識した二日間であった。
我々の遊びの中では、それぞれの手順の中で、やはりまずウエイトを捨ててしまう事が肝要だろう。
恐らく大抵は意識の喪失の段階(BO)で要救助者とコンタクトがあるはずなので、あお向けにして顔に水がかからないよう留意しながら意識の有無を確認する。
呼びかけても反応がなければ気道確保、呼吸の有無の確認、呼吸のサインがなければ、口を開けて中の水を確認する。あれば顔を横に向けて吐かせる。そして人口呼吸。

おそらくここまでのいずれかの段階で大抵のBO者は意識を回復するだろうと考えられる。
水面上で人口呼吸をするのは確かに難しいが、フィンの推力をフルに使えば、BO者を水中に沈めることなくできるはずだ。
ある程度この段階までの事を想定したトレーニングは定期的に積んでおくべきであろう。

やはりプールでの講習に止まらず、海の講習も受講したのは大正解だった、と鈍色の海を見つめて思った。
もし、検定が早めに終了すれば、そのまま潜りに行こうかなどと考えて持ってきたロングフィンだったが、結局その日はクルマから出す事はなかった。
おもしろいもので、この講習に臨んだ時にはひどく痛かった喉だったのに、二日間海で運動しまくったら、いつのまにか治っていた。


水安海講習、おわり。


 

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