日赤 水安講習 プール   

海 編はこちら

 風の中のすうばるうー♪

 久しぶりのプロジェクトXならぬプロジェクトD。
 今回は「日赤・水上安全法救助員講習(プール)」挑戦編をお届けします。

 とても情けないDをお楽しみ下さい。


 いつものように連続投稿しようかと思いましたけど、今回は読み物としてHPスペースに登録しました。

 案外長くなったんで読むのが面倒くさいかも知れません。途中で飽きたらごめんなさい。それでも…できましたら最後までお付き合い下さい。

 最初は田口トモロヲ調を意識しましたが、いつの間にか一人称っぽくなっている所もあり、表現がバラバラです。ご容赦のほどを。


素潜りを続けるつもりなら、救助法を学びたい

 200X年、夏も間近いある日曜日、Dは消防署で心肺蘇生法(CPR)を習っていた。


 趣味としてこれからも海遊びを続けるつもりである以上は必要な知識、という判断だった。
 気道確保、人口呼吸、心臓マッサージ、体位変換…
 講師はさすがに救急のプロ。淀みなく、分かりやすくCPRの基本を受講者に伝えていた。
 しかし、Dは考えていた。
 もちろんCPRも大切だが、講義が進むにつれてそのひとつ前の段階の技術を学ぶ必要がある事を、Dは強く感じ始めていた。

 講習が終わり、Dは講師に質問した。
「海での救助を習うにはどこへ行けばいいのでしょう?」
「それは、溺者を水から助けるという意味ですね?」
「そうです。もちろんCPRの正確な技術が大切だという事は、お陰さまでよく理解できました。です が、さらにその前段階を学びたいのです」
「ある程度の人数さえ集めてもらえれば、我々がプール等を利用して講習会を開いてもいいと考えてはいますが、飽くまで個人的に、我々(救急隊員)も定期的に受けに行く救助講習を日赤がしてくれてます。それに参加するのが最もあなたの目的に適うのではないかと思いますよ」
「そんなのがあるんですね」
「はい、ですが、普段体を鍛えている隊員でさえ、悲鳴を上げるほどのプログラムもあります。ある程度の覚悟は必要です」
「厳しいんですね」
「とても勉強になります。ですが、私も何度か受けましたが、正直言って期限の切れる3年目が来ると、少し憂鬱になります」
「……」

 Dは帰宅するとその情報を元にさらに詳しく調べた。
 しかしそれほど有益な情報はネットの世界では拾えなかった。
 分かった事といえば、まずはプールでの講習が検定日を入れて4日間。それに合格すると、海での講習が2日間あるということ。
 講習への参加条件…2泳法以上ができ、それぞれ300m以上を継続して泳ぎきる泳力を有する者。(*実施する支部によっていくらか条件が違うようです)

 Dは自分の泳力を分析してみた。
 普段、海が少々荒れていようと、ウエットスーツで身を包み、フィンを履いてマスクを被っていれば、そこそこの事はできるが…
 はっきり言ってプールでの水泳は苦手だった。
 子供の頃から、素の状態では、自分は水に浮けない生物だと思っていた。


 不思議と海での素潜りだけは大好きだったが、それは浮き輪という素晴らしいアイテムが海面に待ってくれていることが前提だった。
 大人になって、本格的チックな海遊びを始めてからは、スーツはなくとも海では浮ける事は分かった。しかし…
 それはスノーケルという利器を使いさえすれば、息継ぎという不自然な動作をしなくても良いからである。
 はたして、いまさらスノーケルもフィンもなしでプールを泳ぐ事ができるだろうか…
 子供の頃から体育の授業でたったひとつ大嫌いだった水泳。何かと理由をつけてはサボった水泳。
 これのお陰で体育の成績が5でなかったこともしばしばだった。

まずは泳げよ、泳げば分かる事もある かも

 Dはさらに苦悩した。
 これから水泳を一から学ぶのか…?
 いつも行く海、試しにラッシュガードとロングスパッツ、マスクのみを身につけ、スノーケルとフィンを外してエントリーをした。
 なんとなくクロールっぽい動作をしてみた。
 む…? 意外と泳げるかも知れない。とりあえず100mばかりをクロールっぽく泳いでみた。
 信じられないほど疲労し息が上がったが、ほんの少し自信が湧いた。
 帰宅途中、本屋へ立ち寄り、「クロールがきれいに泳げるようになる!」高橋雄介著・高橋書店発行という本を購入した。

 再びネットで調べてみると、日赤の講習の参加締め切りは数日後に迫っていた。
 講習開始はその2週間後。
 Dは首を振った。
 いくらなんでもあと2週間あまりですいすいと泳げるようになるとは思えなかった。
 あっさりとその年は受講を諦める事にした。
 しかし、海でのトレーニングにフィンとスノーケルを使わない水泳を毎度加える事にした。
 本やネットでの映像を参考にしながら、ひと月で、1000m程度は泳げるようになった。
 しかし、そのクロール(もどき)は極めて遅かった。距離は海へ行くたびに伸びるが、泳げども泳げども一向にスピードは上がらなかった。

 夏が過ぎ、秋も深まり、やがて冬を迎えた。
 Dはトレーニングの場をプールに移した。
 愕然とした。
 やはり…プールでは体が浮かなかった。
 もちろんスピードは相変わらず遅かった。海ではいくらでも泳げるようになったのに、プールでは25mすら大変なのであった。


 膝から崩れ落ちた。海水とプールの水にはそこまでの違いがあるのか、と今さらながら驚いた。
「くそう、やっぱりプールなんて、プールなんて…大嫌いだ…!」

 それでもDはプールへ通った。
 やがて、疲労がピークに近づき、何も考えられないようになり体から余計な力が抜けると、苦しいなりに妙に距離を稼げるようになっている事に気付いた。
 知らぬ間に講習参加条件の300mに達していた。
 それに平行して平泳ぎ(もどき)を始めた。2泳法目を覚えなくてはならなかったからだ。
 クロールに苦労した分、平泳ぎ(もどき)は案外楽に300mを達成できた。

 よし、これでなんとか参加条件を満たした! と喜んだが、不安は到底拭えなかった。
 Dは半年前のCPRの講師だった救急隊員の言葉をたびたび思い出した。
 「現役の消防隊員でさえ悲鳴を上げることもある……」
 彼らがどれほど泳げるかは知らないが、自分以下という事はまずありえない。普段の体の鍛え方も並ではない。
 Dはひたすらプールへ通った。

(*注 今考えると、素直にスイミングスクールの門を叩くべきだったと思います。トータルとして料金的な事を考えても、どっちが得だったか分からないです。きちんと指導もしてもらえたのに…)

 徐々に泳げるようにはなってきていた。
 他人に「泳げる?」と問われれば「まあね」と答えられる程度には。
 たしかにそれはそれで大進歩とは言える。プールにおいては、ついこの前までほぼカナヅチだったのだから。
 しかし、相変わらず泳ぐ速度は極めて遅かった。隣のコースでどんなにゆっくりと泳いでいるように見えるお姉さんにすら、軽々と追い越されていく。
 ビデオやテキストを何度も見返し、絶え間なくプールへ通ったお陰で多少は正しいフォームというものをイメージできるようになってはいたが、それを自分の身体で正確に具現化する方法については迷路を彷徨っていた。
 試行錯誤を繰り返したが、目に見えては改善される気配がなかった。

 やがて、新年度の日赤の講習の募集が始まった。
 恐る恐る…という気持ちはもちろんあったが、Dはエントリーし、そして、講習の初日を迎えた。

第1日目


 県立プールの会議室。午前中は開講の挨拶も含めた座学であった。
 参加者は全員で14名。その内の約半数が消防学校の学生、残りの約2/3が現役の消防官。レスキュー隊員H氏もいた。
 一般人は小学校の教師N氏、養護学校の教師K氏、そしてDであった。D以外は全員公務員ということになる。
 皆、仕事のためにこの講習へ参加していた。趣味のために来ているのはD一人。複雑な気恥ずかしさがあった。
 レスキューのH氏、養護学校のK氏は複数回目の参加と聞いた。小学校教師N氏も学生時代は水泳部に在籍していたらしい。
 既にこの時点でDの位置はブッチギリの最下位確定。
 逆に気が楽になって、Dは自己紹介でうっかりと「趣味は素潜りです」などと余計な事を喋ってしまっていた。
「へー、縦に潜るんですか?」
「まあ、主にそうです。水平の距離を競う種目もあります」
「どれくらい潜れるんです?」
 と関心を惹いたのか、次々と質問されるのにいい気になって、Dの口も滑らかだ。
 その時には、後に危うく自分の首を絞めかねないプログラムが待っているとは想像すらしていなかった。



 座学の最初の内容は、自分の命を守る事が絶対条件で、溺れている人を助けるにはどれほどの泳力、技術が必要なのかという知識の説明から始まった。
 その条件を満たしていても尚、可能な限り水には入らずに救助する事を考えなくてはならない。自ら水へ飛び込むのは、本当に他に手段がなかった時だけにするというのが講習の最大のテーマであった。

 そして午後はプールへ。
 レスキューのH氏は身長も高いが、服を脱いだらその体躯はもの凄かった。均整の取れた、まさに男の理想の体型である。
 決してボディビルダーのような感じではない。不断の訓練で培われたかっこよさである。後日、実際に怪力の持ち主である事も証明してくれた。



 念入りな準備運動、ストレッチの後、個々の泳力の確認の意味も込め、クロール、平泳ぎの他、バタや背泳ぎでウォーミングアップ。各50m。
 Dは心の中で呟いた。
「そういうことなら、どっかに書いておいてくれよ。バタもバックもしたことねえよ…」
 見よう見まねでバックをしてみたが、案の定、鼻に水が入ってきて、早くも一回目の沈。
 いきなり溺れた。ようやくの思いでプールサイドに上がった時、既に体力の底が見え始めていた。先が思いやられた。

 次は浮身(うきみ)。力尽きた時、肺に空気を溜めて浮力を確保しつつ、体を立てた状態から仰向けになり、ごく浅く呼吸し、水面を漂いつながら体力の回復、または助けを待つ方法。
 これはなんだか上手くできた。皮肉な事に、既に疲れていたから上手くできたという説もある。もっとも…大抵の人はできる。

 講師、S氏が言った。
「あー、皆さん、泳ぎがヘタクソですね(笑) まともな人はほとんどいませんね」
 Dは自分以外の者はみんな上手だと思っていたのに、あれでヘタクソ呼ばわりされるのかと、目が点になった。
 それでは自分なんて泳げる内にはやはり入ってないのだと、あらためて痛感させられた。
 S講師は続けた。
「ところで、最終日の検定では25mの潜行もあります。壁を蹴らずに25mです。はい、自信のない人手を挙げて!」
 若者たちから拒否反応を示す声が上がった。Dも目を白黒させた。
 壁キックなしで25mのwithout fins…?
 プール通いをした日々、アプネア力もできるだけ落とさないようにと思いながら、クロールと平の合間に練習した事はしたが、壁キックなしというのは…
 周りを見渡すと14名の内、手を挙げていないのは自分を入れて4名のみだった。
 先ほど自己紹介で「趣味は素潜りです」などと言った手前、これが出来なくてはかっちょ悪すぎる。
 検定は来週だ。それまでにきちんとできるように練習しとこ…などと思っていると…
「はい、分かりました、手を下ろして。それではdefozeさん、ちょっとみんなに見せてあげてください。そうですね、ドル平で」とS講師。
 この時のDの心中を察する事ができるだろうか。
「今日は、か、壁を蹴っても構いませんか?」
 と、おずおずと質問をするD。
「壁を蹴らずにして欲しいんだけどな、ジャックナイフの要領で加速してスタートする所を見せたいから…うーん、そうか、いきなりですからねえ。でも、海には壁なんてないでしょう?」
 と答えるS講師。
 壁はなくともフィンがあるのだ、海では。
 そう思いながらも、しかし、Dは言ってしまった。
「ええ、もちろんできますよ。できますとも」
 Dの顔は少しひきつっていた。

 静かに50mプールへ入るD。S講師がにこにこと笑いながらプールサイドで他の皆に説明をする。
「えー、ジャックナイフと言うのは…(略)…脚の重みを使って潜る時に加速する方法です。詳しくは明日の講義で説明しますが、要救助者を確保する時には後ろから近付くのが基本です。溺れている時に向こうを向いていてくれていればそのまま確保に行けますが、こちらを向いているときは、要救助者の下を潜り、浮上、そして反対側から確保します。えー、また、溺者が水中に沈んでしまうケースも当然あります。その時には潜って捜索するしかありませんから、潜行はそのための技術。最低25m程度はできてもらわなくてはいけません。それではDさん、このプールの半分の線を足の先が超えるまでよろしく!」
 without finsの自己ベストはもちろんもっと長い。出来ない事もないはずだが…「できなければ赤っ恥」というプレッシャーがDを襲う。妙に緊張して心拍数が高まっていた。これでは酸素消費量が…
「余計な事を言ってしまったが故に…」Dは後悔していた。しかしいつまでそうしていても埒があかないので、覚悟を決めた。
 Dは保険を掛けて、少しインチキをする事にした。軽くハイパーベンチ気味に深呼吸を繰り返し、最後にはパッキングまでして潜る態勢を整えた。
「あー、ちょっと待って。今やっていた呼吸法は推奨されません。これも明日講義しますが、テンポの早くて深い深呼吸を繰り返し行なうのは、危険なことなのです」
 Dは一旦、すべての息を吐き出し、恨めしそうにS講師の顔を見上げた。しかし正しい事を言ってるのだから仕方なかった。「ま、まいった。やってくれるなあ、S先生…」
「それではあらためてお願いします」
 S講師はにこっと笑ってそう言った。
 どのみち後戻りはできないので、Dはゆっくりと3回だけ深呼吸をした。
 それでも若干の保険は掛ける事にした。いかに物知りのS講師でもパッキング技術のことまでは知らないだろう。例え知っていても、ほんの少しなら危険な行為でもない。
 とは言え、やはりDはインチキっぽい気がして、プールサイドから見えないように下を向き、数回のパッキングをした後に、やや前方へ向けて角度の浅いジャックナイフ。水深2.1mのプールの底を舐めるようにドルフィンキックを打ち始めた。
 水深は2mあまりだったが、軽い耳抜きは必要だった。
 その日まで今季未使用だった50mプールの水は恐ろしく透き通っていた。50m向こうのプールの壁がくっきりと見える。
「あそこまでの半分か…やるだけやるか…」
 所詮は日本の端っこでの出来事ではあるが、ここはシュノーケルトピ、いや、全素潜りダイバーの名誉にかけて成功させなくてはならない。
 なるべく何も考えない事にした。ひたすらドルフィンキックを打った。上半身の基本はストリームライン。たまにプッシュまで掻き切る「一掻き」の動作を加えた。
 やはり、壁をキックせずにスタートすると、最初の5mラインですら遠く感じた。
 全国素潜らー協会の名誉を守るのは結構大変である。つくづくお喋りな自分の口を呪った。
 壁蹴りなしで始めるヘタクソなドルフィンキックは一向に進まない。25mがいつもよりずっと遠くに思えた。
 しかし心肺の調子自体は悪くなかった。中間付近を過ぎても息苦しさはそれほどでもない。ふと前方に視線を向けると、25mラインがあと数メートルの距離に見えた。
「お、これはまだまだ行けそうな感じ」とDは思ったが、調子に乗るのは…少なくともこの講習の間だけはやめておこうと決意した。
 とりあえず潜行を終え、プールサイドに上がったが、肝心なのはそれからなのだった。
 皆が待っているスタート地点までの25mを歩く間に、息を完全に整えなくてはいけない。どうにかやっとできました、という姿を見せるのは素潜らー協会会員としては許されない事なのだった。
「はい、ありがとうございます。お、さすがに息が乱れてませんね」とS講師が言った。
 そう、その一言をDは言わせたかったのだ。S講師は続けた。
「と、まあこれと同じ事を、皆さんには最終日までにできるようになってもらいます」

 S講師はハンサムで笑顔もチャーミングな男だが、鬼みたいな事をさらりと言ってのける。


 一体どれだけの人がたった一週間ほどの間に25mのDynamic without finsをできるようになるというのだ。
 しかも壁蹴り禁止。
 D自身、数ヶ月前に初めて試したとき、壁を蹴ってもまるでできなくて四苦八苦した。それなりに息を止めるのに慣れていても尚である。
 Dは手を挙げた連中が一週間後に成功するのは軒並み無理なように思えた。
 心底、without fins の練習をしておいてよかった…と思った。

 Dが優位な立場で鼻高々としていられるのはそこまでだった。
 続くプログラムは溺者を引っ張って泳ぐための、古式泳法に似た「逆あおり」という泳ぎ方と、「立ち泳ぎ」だった。
 だから、そういう事をするのなら、事前にどこかで説明をしておいてくれれば、多少は練習してくるのに! という思いは講習中にたびたび湧いた。
 立ち泳ぎ…フィンの力を使って行なうなら、やろうと思えば時間単位で、多分できる。
 しかしベアフットで行なうのは…

 まずは立ち泳ぎの練習が開始された。
 シンクロや水球の選手達がまるで何事もないように胸から上を水面上にキープし続ける。
 その時に使われる技を「巻き足」と言う。いくつかある立ち泳ぎの技の中でももっとも楽に強く揚力を発生し続ける事ができる技術らしい。
 膝から下をまるで2軸のスクリューのように回転させ、姿勢を保つ。その気になればへそまで水面の上にキープし続ける事も、膝近くまで水面上に飛び上がることもできる…らしい。
 Dにとって未知との遭遇とはまさにこの事だった。
 Dはこればかりははっきりと分かった。自分がこれをできるようになるまでは恐ろしく遠い道のりが待っている、と。
 巻き足はシンクロや水球の選手たちにとっては基本中の基本だが、同時に非常に高度な技術でもある。カエル足ではなく、「正しい平泳ぎ」の足捌きのさらに応用が必要なのだ。
 「平泳ぎもどき」は案外簡単だが、「正しい平泳ぎ」は実に難しい。よって巻き足はもっと難しいのである。
 バレーボールの基本中の基本はパス技術だが、まったくやったことのない人には結構難しい動作であるのとそう変わらない。
 できない者にとっては、マスターするまでの時間があまりにも少ないため、代わりに「踏み足」という技術も習ったが、それでも数秒と姿勢を保てない。
 S講師が含み笑いをしながら言った。
「はい、一旦やめ! こっちを向いて。この立ち泳ぎも最終日の検定では5分やってもらいますからね。とりあえず今日の最後の仕上げでは3分やってもらいます」
 Dは呟いた。「さらりと言いすぎ。あんた、間違いなく鬼じゃろ…」

 逆あおりも、それまでしたことのない者にとっては実に難度の高い技術だった。
 上半身を立て、自分の顔を水面上にキープしつつ、横向きに泳ぐ。ハサミで水を切るような脚の使い方をして推進力を作る。
 さらに片腕は溺者の確保に使うため、泳ぐのには片腕しか使えない。しかも実際にキャリーする時にはその手の掻きも半分以上推力には使えない。溺者の背中へ水を送り込み、体を水面に浮かせてやるためのエネルギーに消費されてしまう。
 これまで使った事がないような筋肉をフル稼働させなくてはならない。

 これも検定までに最低25mできるようにならなくてはならないとの事。実際に溺者を曳いて泳ぐためには、一人なら最低でも50mは進めなくてはならないとの説明もあった。
 受講者の中から「なぜ、平泳ぎ(もどき)の脚を使ってはいけないのですか?」と質問が出た。
 Dも心の中で「そうだ、そうだ」と思った。
 S講師は笑顔を絶やさずに言った。
「いい質問です。それは実際に溺者をキャリーする時には、お互いの体がくっつくからです。試しにやってもらったら分かりますが、自分の体の前に抱えるように溺者がいるため、干渉して平泳ぎの脚は使えません。他にご質問は?」
 皆、押し黙った。
 この逆あおりの練習がDを疲労困憊の谷底へ突き落とした。何度も沈んだ。

「えー、次は「順化」と呼ばれるプールへの飛び込み、そしてヘッドアップクロールですね」
 日が傾き始めた頃だったが、S講師は容赦なく次々と新しいメニューを提示する。
 順化とは足の方から水に飛び込み、その時に顔が水中に没しないようにする技術。腕、脚、胸を駆使する。水面に打ちつけて、胸が痛かったりもする。
 ヘッドアップクロールも文字通り顔を水面に浸けずに泳ぐクロール。
 簡単でたまらないです、と言うほどでもなかったが順化はなんとなくできた。


 難しいのはヘッドアップクロール。どうしても途中でイヌカキになってしまう。
 ただのクロールでさえ遅いのに、ヘッドアップなどした日にはまるで進まない。



 時計は講習終了の17時を指していた。
 へろへろになったのはDだけではなかった。ほぼ全員がスライムのようにぐったりとなり、体が溶けかかっていた。
 そんな受講生たちに鬼の一言が飛んだ。
「はい、それでは本日の最終メニュー。立ち泳ぎ3分でーす。がんばってね」
 …もちろんDは速攻で沈んだ。沈みながらも妙に落ち着いてる姿が笑えると、S講師に評してもらった。


第2日目

 翌二日目。
 午前は1時間だけ座学があった。最終日には学科検定もあるので皆真剣に受けている。
 短い休憩のあと、50mプール前へ着替えて集合。
 前日の実技講習のおさらいであった。
 言うまでもないが、Dはその時点で既に疲労を強く感じていた。
 一旦、昼食を食べにプールから出たが、午後からのメニューをやり通す気力など既に喪失しかけていた。
 どれほどプールの水を飲んだか分からない。食欲もない。このまま帰っちゃおう、と何度思ったか知れない。

 午後からは飛び込み競技用の深さ5mのプールへ移動し、組んだバディと交互に溺者役、救助者役を務め、何種類かのキャリー法、また、溺者に不用意に近付いてしまった時、しがみつかれたり、腕を掴まれたりした時に一旦振り払う方法など、より実戦的な訓練メニューが続いた。
 レスキューH氏はさすがの体力である。彼は何をどこまでしたら疲れるのだろうと、Dはスーパーマンのように思った。
 飛び込み台が近くに聳え、なんだか狭く感じるが広さは25m四方もあるので、この日も25m潜行のデモをした。
 ただし、この日は壁を蹴ってもいい事となった。壁キックをしてもいいならラクチンである。これも下手ではあるが、けのびだけで少なくとも7mくらいは進めるからだ。
 余裕があったので底まで潜り、久しぶりに水深5mの水圧を味わった。

 その日のカリキュラムはそれまでに習った技術を組み合わせて行なう。
 順化からヘッドアップクロールで、立ち泳ぎ(スカーリングOK)をしながら溺者役として待っているバディの後ろへ回り、確保、キャリーしてプールサイドへ運ぶ。
 また、全力で掴みかかってくるバディを振りほどくのはかなり大変だった。
 溺れる者は藁をも掴む、と言うが、本当にその通りなのだと言う。だからありったけの力を込めてバディにしがみつく。


 バディの小学校教師N氏は、レスキューH氏とまではいかないが、彼もいい体格をしている。自分よりひと回り大きな体格の者を振りほどいて、その後に体を確保し、プールサイドまでキャリーするのはかなり骨が折れた。
 お互いが慣れてくれば、それぞれ溺者役のバディには、息を精一杯吸い込んで協力してもらえるので浮力はある。しかし、体格が大きく水の抵抗も質量もある体をキャリーしようと思うと、加速するのが大変なのだった。ある程度のスピードに乗れば、慣性も助けてくれるが…
 よってDはN氏に何度か死んでもらった。つまり救助の放棄をした。

 彼は元水泳部であっただけあり、泳ぎが達者だった。Dも決して小柄ではないが、彼に抱えられてキャリーされている時は、安心して身を任す事ができた。
 その感覚を溺者に伝えられる事も大事な要素なのだと言う。なるほどそれはそうである。キャリーしているときに溺者が不安に駆られて暴れられたらどうしようもない。

 水中での格闘はそこそこ楽しい。前から後ろから救助者に飛びかかる、または要救助者に飛びかかられる。
 救助者は溺者を一旦水中に連れ込んで、溺者に「なんだ、こいつは助けにならん、他の藁を探そう」という気にさせれば、とりあえず救助者の勝ちである。
 救助者の上級技として、そうやって振りほどいても尚、溺者の片腕をキープし、後ろ向きに回転させて一連の動作として後ろからそのまま顎を確保できるようにならなくてはいけない。
 自分に余裕がある時にはそれもできる。無理そうなら躊躇なく一度は突き放す。
 溺者が暴れたり、抱きつく元気のある内は、なんとかまだ大丈夫なのである。
 しかし、Dは思った。
 溺者はようやく救助者が来てくれたと思ったら、やはりすがりつきたくなるだろう。ところが冷たくあしらわれて、もう一度突き放されるのである。
 その時、溺者はさらなる絶望の淵へ落とされるのではないだろうか。
 自分が溺れて意識があったら、絶対に暴れず、しがみつかず、おとなしくしていよう…と。

 あとは意識のない溺者をプールサイドに引き上げる方法。これは手順さえ間違わなければ楽なメニューだったが…

 二日目の最終メニューは4分の立ち泳ぎ。Dは講習の合間に練習をして少しだけ踏み足のコツを掴めたような気がしていた。
 しかし、それはただの幻想に過ぎなかった。2分足らずであえなく沈。 ちーん…


一週間のインターバル

 講習は次の土曜日まで期間が空く。

 講習が開催される地方によっては、平日に4日間連続で行なわれるところも普通にある。
その場合は合間に練習する事などできない。
 Dにとってはある意味ラッキーだった。
 Dは数々の苦手な種目を克服せんと、まずはヤフーBBSの水泳カテの門を叩いた。
 ありがたい事に有用な情報をいくつも得る。

(*ここでの質問、カキコをどこなつさんに発見されたような気配です)

 火曜日、一日空けてもいまだ体中が軋むような筋肉痛の中、Dは夕刻からプールへ。
 講習と同じ場所だが、まだ50mプールと飛び込みプールは一般には開放されていない。したがって混雑が予想される温水の25mプールへ入った。
 しかし週の初めの方だったのが幸いしたのか、普段より人が少なかったので存分に逆あおり、ヘッドアップクロール、立ち泳ぎを練習した。
 変な泳ぎ方しかしないので、その姿は他人には異様に映った。溺れているとも思った者も何人かいた。
 Dは監視員も自分に注視しているのに気付き、一旦プールから出て監視員に断りを入れた。
「あのー、溺れてるように見えるかも知れないけど、ちょっと特殊な泳ぎ方の練習なのです。本当にやばい時は手を振るか声を上げるので、その時はよろしくお願いします」
 監視員のおねーさんはにこっと笑って
「分かりました。あー…水安の講習に来ておられた方ですよね。頑張ってくださいね」
と優しく言った。
 同じような笑い方なのに、S講師の笑顔が鬼のように見えてくるのとは大違いだった。

 意外だったのは、一番習得が難しいかと感じていた逆あおりが、すんなりと泳げるようになったことだった。
 一昨日、何度も溺者をキャリーしてやったお陰もあるかも知れない。一人でなら続けて何往復かできた。
 ヘッドアップクロールは相変わらずのカタツムリ速度。水しぶきだけは派手に上がり、疲れるだけである。普通のクロールも人一倍、いや、人の何倍も時間がかかるのに、顔を上げたままクロールをするなんてできっこない。
 普通に出来る人が不思議でたまらなかった。
 それでも、要求される距離は連続して泳げた。

 問題は立ち泳ぎだった。どれほど工夫をしてみても、一向に体を浮き上がらせられない。
 いや、顔だけ水面から出れば成功なのである。しかしそれすらまともにできない。
 数十秒なら力任せにもできるが、それでは5分などとても続けられない。
 スムーズな巻き足のイメージをどうしても形成できないのである。
 ネットのあちこちを探してみても、巻き足の映像を見つけることができなかった。図書館に行っても分かりやすいテキストがない。
 それでもあれこれ工夫していると、どこかのシンクロチームが練習にやってきた。
 これは、生の巻き足を観察する事が出来るかも知れない、と期待した。

 彼女たちの練習が始まった。
 コーチの別嬪さんが監視台の上に座って、チームを指導する。容赦のない彼女の声が水中スピーカーでプールの中に響き渡る。
 決して怒声ではない。落ち着いて静かな声だが…まったくもって容赦がないのははっきり分かる。
 その雰囲気をDはテレビを通して知っていた。
 元日本代表チームの井村コーチの指導中の感じとそっくりなのだった。
 後日に知ったことだが、その別嬪コーチさんは井村コーチの直系であるらしかった。それで納得である。

 最初はコーチが話をしている時には、選手の子たちはプールの底に足をついているのかと思った。
 Dはふと気が付いた。
 水面上に出ている部分の高さが、皆同じなのである。
 プールサイドに現れたときは、年齢差もあるようなので、身長の高い子から小さな子までバラバラだったが、今は皆背の高さがほぼ揃っている。
 Dは水中に顔を浸けた。
 シンクロチームの彼女たちは、実に見事な巻き足をしていた。
 別の生物が膝から下に寄生しているのではないかと思えた。


 コーチが長々と話をしている間、微動だにせずずっと立ち泳ぎをしていたのである。
 考えてみれば、身長が140cm程度しかない幼い女の子もいた。その子たちはこちらのプールでも足がつかないのである。

 Dは彼女たちの休憩時間が来るのを待った。
 コーチを掴まえて、巻き足を教わろうと考えた。
 しかし、一向に休憩を取ろうとはしない。ひたすら練習をしている。
 20:50。プールの営業時間終了まであと10分。ようやく水中スピーカーから練習を終了する旨の声が響いた。

 Dは恥を忍んでコーチの元へ駆け寄った。
「お願いします。巻き足のコツを教えてください!」
 彼女は嬉しい事に嫌な顔ひとつせずに時間を割いてくれた。
「そうですねえ、どこまでできます?」
「いや、それがまるっきりでして…」
「そうですか、あ、チカちゃん、こっちに来て! 顔を上げて平泳ぎしてくれる?」
 チカちゃんと呼ばれた女の子は言われるままにデモをしてくれた。
「分かります? 基本は正しい平泳ぎの脚なんです。はい、それじゃあ次は片足ずつ交互に蹴ってみて」
 チカちゃんは少し戸惑いながらもそうしてくれた。
「これで体を立てて、股関節を横に大きく広げて、脚を伸ばしきらずに連続してやれば、巻き足です」
「そうなんですか?」
「はい、じゃあちょっと見せてもらっていいですか?」
「もちろんです、お願いします」
 と言って、Dはチカちゃんの隣に入水した。
「コースロープに掴まって、やってみてください」
 その通りにしてみる。
「うーん、右足は回ってますけど、左足はできてないですねえ。でも雰囲気は出てますから、ビート板に掴まって練習を続けていたら、やがてできるようになると思いますよ」
 チカちゃんが不思議な物体を見ているような顔をしていることに気付くD。
「えへへ、おじさん、立ち泳ぎができないんだよ、模範を見せてくれてどうもありがとう」と精一杯の笑顔を作ってみる。
 大人なのにどうしてこんな簡単な事ができないのだろうと考えているに違いない、とDは思った。
「あとは右足の感触を大事にして、平泳ぎからやってみてくださいね。すいませんが、あまり時間が掛かるとプールに申し訳ないですからこの辺で」
 Dにとって実にありがたいアドバイスだった。
 具体的なイメージをようやく手に入れた。


 1日空けて木曜日。
 再び自主トレへ。
 巻き足の感触はなんとなく掴めた気がしていたが、結果的には相変わらずだった。
 「正しい平」の脚にはまだ程遠いのも分かっていた。つい、カエル足になるのである。

 結局、巻き足はマスターできなかった。

第3日目


 土曜日。
 講習3日目。
 午前は人形を相手にCPRの実習。いつかの消防の救命講習とは少しやり方が違った。
 どちらが正しいというものでもないようだった。
 日赤の人形は少しハイテク装備だった。
 人口呼吸も適性量の空気を吹き込まないと注意信号が出る。心臓マッサージもそうだった。
 1ターンの練習を終えると、時間軸に沿って結果がプリントアウトされる。
 無駄なく、正確にできるようになるまで繰り返される。

 午後はこれまでプールで行なってきた事の総合実技の演習だった。
 それを一通り終えると、500m泳の検定が待っていた。
 途中で泳型を変えてはならない。クロールで始めたら最後までクロール。
 時間はいくらかかっても構わない。
 ただし、ターンはなし。50mプールをトラックに見立ててぐるぐると周回する。
 プールサイド一周は150m。コースの幅を取る。一番内側で一周がおよそ110mくらいの計算となる。それを5周。
 Dは自分が一番遅いのは分かっているので、最初に泳ぎ始めた。もちろん次から次へと抜かれる。
 トップには2ラップされた。
 しかし、スピードは遅くてもいいので、Dはのんびりと泳ぐ。苦しいと感じるのは始めの200mくらいまでだ。
 その後は余計な力が抜けて、案外と楽に泳ぎ続ける事ができる。

 それにしても、参加資格は300mだったはずなのに、検定では500m以上の泳力が要求される。大抵の人は300m泳げれば500mでも1000mでもそう変わりないとは言え、中には自分の限界を数日間で倍近くの距離を増やさねばならぬ人もいる事だろう。
 他にも事前に「こういう技術が必要」という提示もないまま、ある意味ぶっつけ本番、実質3日間でかなり高度な技術をマスターしなくてはならない。
 脱落者が続出しないのが不思議である。
 今回の講習には身体能力の高い連中が揃っているので、Dがボーダーラインぎりぎりを彷徨っているわけだが、他の地方では一体どうなのだろうか。
 今さらながら一年前の救急隊員の言葉が蘇る。
「消防でさえ音を上げるヤツもいる…」
 事実、消防学校の学生とは言え、まだ体が出来上がってない若い連中の中には
「もう、勘弁してくれ…」と呟いた者もいた。
 Dも幾度水底へ沈んだか知れない。

 続いて、頭からプールへ飛び込んで、誤って底に打ちつけ、頚椎を損傷した者の救助法。
 これは25mの水深の浅いプールで、バックボードを使って行なった。
 深いプールでは首を折るほど激しくは頭を打ちつけないからだ。
 首の骨を折っている者はプールサイドへ引き上げるのが難しい。いかに首を固定できるかがミソだ。


 三日目の最終メニューは4分30秒の立ち泳ぎ。
 いまだ、この技術を習得できていないDは色々と考えてみた。
 まずはできる所まで踏み足で踏ん張る。
 およそ2分で力尽きるので、その後は浮身でごまかすのだ。口元さえ水面上に出ていれば、ゆっくりとした浅い呼吸でしのぐ事ができる。足だけは申し訳程度になんとなく動かしておく。


 スカーリングを使ってもいいのなら、立ち泳ぎもどきも出来ない事はないが、両手は指を水面から上に出しておかなくてはならないのがルール。

 この作戦は上手く行った。4分30秒。なんとか浮き続けていられた。
 もちろんS講師にはバレバレであった。
「Dさん、あれじゃあ何の仕事もできないっすよね?」
 と鬼の笑顔。沈黙のD。
 ふん、分かってるさ…と心で呟いた。

第4日目


 ついに最終日。
 午前は学科の総合復習に続き、学科検定である。難易度の高い設問ではなかったが、きちんと授業を受けてないと答えられない。
 一般人には覚えておく必要のないことではあるが、雑学クイズのような設問もあった。
 どれほど実技が上手くできても、この学科検定で点を取れなければ、どれほど合格させてやりたいと思っても出来ないと言う。
 過去にもそういう例はいくつもあるそうだ。

 続いてCPRの実技検定。
 昨日覚えた力加減、息の吹き込み加減を思い出しながら素早く実施する。
 大事なのは心臓マッサージへ至るまでの手順である。意識の有無の確認、通報、気道確保、呼吸の確認、人口呼吸、循環のサインの確認……
 正確にできなくてはならない。

 あとの予定はそれほど時間がかからないからと、昼食タイムは取らずに短い休憩のあと、水着に着替えていよいよ残りの実技検定である。

 最初はスカーリングで背中側へ25mの移動。上体を起こし気味にして、顔は水面上に出す。脚は推力として使ってはならない。
 これまでは説明を省いていたが、何のためにスカーリングで浮く必要があるかと言うと、溺者に近寄った時、掴みかかられないよう、2mばかり距離を空けて、「防御の姿勢」をとる必要があるのだ。
 足を溺者へ向けて、まるでモハメド・アリが猪木と戦った時のように(古い!)構える。そうしつつ、溺者の様子を観察する。掴みかかってきたら、躊躇なく足で払う。


 繰り返しとなる。溺者を救うのはもちろん大事だが、それ以前にまず自分の命を守らねばならないのだ。

 続いていくつかのキャリー法。
 順化で飛び込み、ヘッドアップクロールで近付く。スカーリングで防御の姿勢を取った後、溺者へ助けに来た旨を告げる。
 そして溺者の背後から、まず顎を片手で確保(チン・プル)、その状態で少し加速し、頃合を見計らって反対側の手で体を抱いて逆あおり(クロスチェスト・キャリー)。プールサイドを目指す。
 また、チン・プルから両脇に腕を入れ、両肩を確保しつつ背中側へ平泳ぎ(バック・キャリー)…等々。そしてプールサイドへ引き上げ。
 ちなみにバック・キャリーでは下半身が溺者から離れるため、平泳ぎの足捌きが使える。
 ここまででDはほぼ全力を使い果たす。
 キャリー法のなかには溺者の髪を掴んで引っ張るという、ちょっと荒業もある。ただし、これは検定種目の中にはなかった。

 溺者への接近に失敗し、腕を掴まれたり、首に抱きつかれたりした時のエスケープ術。
 言い換えると水中格闘。Dにとってこれは講習のときから楽しかったので、それほど苦にならない。
 陸上で使える術もある。何者かに腕を掴まれてもするりと外せる。これなどは救助には関係なくても、女性も覚えていると万一の時身を助けるだろう。
 しかし、レスキューH氏に本気で掴みかかられると、まるで抵抗できない。万力で締め付けられるようなものだ。
 力持ちの人は絶対に溺れないでもらいたい。少なくとも自分の目の前でだけは…とDは思った。

 いよいよ、25m潜行。
 実は2日目、3日目にもこれの練習時間は設けられていた。
 しかし見ていてもできそうにない者が多かった。半分にも届かないのである。
 ところが本番……初日に「自信がない人」と言われて挙手しなかった者はもちろん誰も失敗しなかったが、驚くべき事に、手を挙げた者も次々と成功していくのである。
「うそー、アイツ成功しやがった!」
「コイツもか…」
 と次々に歓声が上がる中、少しづつ減っていく残りの若者たちも最高の意地を見せた。
 万一BOしても、S講師の他に補助の指導員が二人もいるのだからどうと言う事はない。
 Dは安心して彼らの意地を見せてもらっていた。
 向こうの壁にタッチしても、完全に息が上がってしばらくはプールサイドに上がれない者も多数い たが、それでもオーダーはきちんとこなす。
 こんな連中が消防官になるのだと思うと実に頼もしい。
 ドル平はDだけだった。他はほぼ全員水中平泳ぎ。それでも25mは行くのである。その先は辛いかも知れない。
 ドルフィンキックを経験したことのある者はそれほど多くない。アプニストの卵たちはそこら中にいる事をDは知った。
 全員のトライが終わり、あらためてS講師は言った。
「潜行では最も合理的な方法はドル平です。これから機会があれば、ドル平を覚えるように」


 他にも検定種目はいくつかあったが、割愛して、最終種目。
 立ち泳ぎ5分。
 前日にネットで「5分できなければ即失格というわけではない。できる所までやれば、それでも点になるから」
 とアドバイスをもらっていたので、浮身作戦は最後の最後まで取っておこうとDは思っていた。

 「皆さん、準備はいいですね?」
 飛び込みプールに並んだ14個の頭を眺めて、ストップウォッチに指を掛け、S講師が言った。
「それでは始めます。よーい…はい!」
 それまでスカーリングも併用して浮力を稼いでいた両手を止め、人差し指を水面に出す。これ以降はスカーリングは使っていないという証しだった。
 Dの調子は悪くなかった。
 自転車のペダルを漕ぐようにせっせと踏み足を続ける。
 肺にできるだけ多くの空気を溜めたまま、浅い呼吸を繰り返し、耐える。これでなんとか顎から上が水面に出る。
 つい深く肺の換気をしたくなる衝動に駆られるが、その瞬間に頭が沈む。沈んでも数秒間息を止めれば再び浮上するが、当然息も上がりやすくなる。
 再び深い呼吸をせねば、息がもたなくなる。
 その循環に入ってしまうともう先は長くない。それは分かっている。分かっているが、やってしまうのだ。
 しかし、Dは一度、その状態から軌道を元に戻した。
 なんとか5分間耐えられるかも知れない、そう考えた2分過ぎ。突如気管に激しい反射が生じた。
むせかえる。
 激しい咳は、肺の空気をすべて体外へ排気した。
 そうなるとどうしようもない。なんとか持ち直そうと試みるが、体はゆっくりと水中に没して行った。
 それでもなんとか咳を沈め、態勢を整えて続行したが…多分得点にはなるまいと思われた。

 悔やみきれないD。


 そうして、プールでのすべての講習が終了した。
 このプールでの検定に合格しないと、海の救助員講習には参加できない、となっている。
 しかし採点は即日行なわれるわけではないとの事。
 この時点では結果はまだ分からない。
 しかし、S講師曰く、
「えー、合否は後日お知らせしますが…海の講習を希望している人には、全員参加を許可します。厳密にはどうか分かりませんが、この4日間の出来を見ていた限りでは、まあなんとか海での講習にも耐えられるのではないかと思われます。総合的な判定は海での出来も勘案したいと思います。これ以降、特別な事がない限り連絡はしません。二週間後、会場で待ってます」

 どうやらそれは条件付きの仮免合格のようなものらしい。
 確かに国家資格でもないので、多少は解釈の幅があってもおかしくはないが…
 Dとしては海での講習が本来の希望だったわけだが、恐らく参加不可を言い渡されるだろうと思っていたところに一筋の光明が射したようなもので、正直いい拾い物をしたような喜びを感じた… が、どこかすっきりしない感覚に囚われたのも事実だった。
 恐らくは最末席Dのための救済措置だったのだろう。

 空梅雨の午後の強い日差しの下、S講師は次の言葉で締めくくった。
「この講習を通じて、いかに「単独で、水中で、器具を使わないで、泳いで」溺者を救助する事が困難な事か、ご理解いただけたかと思います。突然に起こるからアクシデント。準備を整える暇などありません。しかし、不意に事故現場に遭遇した時にも、冷静に、きちんと自己保全を考えて、この講習で学んだ事を生かして頂きたい。
 あー最後になりますが、今年の講習生は皆が明るくてこちらも楽しかった。それでは講習を終わります。皆さんご苦労さんでした!」
 若者達の歓声が響く。
 あるいはスイムキャップが宙に舞うかとも思われていたが、若い連中もそこまでアメリカナイズドされてはいなかった。

 Dにとって、この4日間は実に厳しい講習だった。講習というより訓練だった。新鮮な体験ばかりで戸惑いも多かったが、半面それに勝る楽しさもあった。
 一体プールの水を何リットル飲んだのか、また、何度水底に沈んだのかも数え切れない。ある意味、Dにとってこの4日間は屈辱の日々であったことは間違いない。
 それでもなぜか楽しかったと思える自分がいる事を自覚していた。厳しいカリキュラムになんとか最後までついて行けたというのはひとつの収穫として思い出に残るだろう。
 もちろん、Dにはまだ水に飛び込んで溺者を救助する自信などないし、あるいは溺者の方から断られるかも知れない。
 だが、少なくとも溺者が沈んでいくのを指をくわえて眺めているだけとはならないだろう。

 とにもかくにも、海はDのフィールド。
 ウエットスーツも3点セットも着用可だ。情けない姿は見せられない。
 海での講習は2週間後。次の週末は早速海へ戻って自主トレを行なおう。
 そう考えながら、Dは駐車場からこの数ヵ月間道場として通った県立プールを仰ぎ見た。

プール編 おわり

海 編はこちら





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